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新潟県創価学会

  • 新潟県の日

新潟県の日新潟池田文化会館とビッグスワン

昭和58年4月14日、新潟広布30周年を記念する歴史的な「第1回新潟県総会」が新潟文化会館で行われました(17日までの4日間)。これには、12年ぶりに新潟市を訪れた池田大作(いけだだいさく)名誉会長が総会に出席。昭和46年5月の思い出の記念撮影以来の来県とあって、県下各地から集った1800人の友の喜びは幾重にも広がり、信心の歓喜に弾む集いになりました。
この日、初訪問となった同文化会館に到着した池田名誉会長は、日蓮大聖人有縁の、この新潟の天地にあって、子孫末代までも永遠に輝く歴史を"我、残したり"といえる人生でありますようにと念願。また、翌15日には総会を記念する勤行会の席上、「日蓮が弟子等は臆病(おくびょう)にては叶(かな)うべからず」(日蓮大聖人御書全集、1282ページ)との御金言を拝し、「信仰者の第一条件は『勇気』である」と指導。勇気の二字には、使命も、努力も、建設も、開拓も含まれるとし、一歩前進の勝利を確信されたい、と参加者を激励しました。
以来、新潟県創価学会では、この「勇気」の二字をモットーに、日々、活動に励んでいます。

  • 大聖人有縁の地 佐渡

着岸地 松ヶ崎

着岸地 松ヶ崎

日蓮大聖人は文永8年、依智に一ヶ月ほど滞在して、いよいよ10月10日、遠流の地、佐渡に向けて旅立たれました。佐渡への道程については 「今月十月なり十日相州愛京(あいこう)郡依智(えち)の郷を起つて武蔵の国久目河(くめがわ)の宿に付き十二日を経て越後の国寺泊の津に付きぬ」(寺泊御書)と記されている。

寺泊の津に、一週間滞在し、順風を待って、波も静まった40キロの海上を小船で走り到着したのは10月28日であった。佐渡で大聖人一行が第一歩をしるされたのは現在の畑野町松ヶ崎海岸である。
松ヶ崎の名は、遠く「延喜式」にも、佐渡の宿駅として出ており、国府への交通路となっていたと思われる。

塚原三昧堂

塚原三昧堂

着岸地松ヶ崎で一泊し、翌11月1日、厳冬のさ中、配所の塚原三昧堂に大聖人一行が到着された。
この三昧堂は、守護代の本間六郎左衛門尉重連の館近くにある塚原(墓地)の粗末な廃屋同然のお堂である。
御書に「六郎左衛門が家のうしろ塚原(つかはら)と申す山野の中に洛陽の蓮台野(れんだいの)のやうに死人を捨つる所に一間四面なる堂の仏もなし、上も板間あはず、四壁はあばらに雪ふりつもりて消ゆる事なし、かかる所にしきがは(敷皮)打ちしき蓑うちきて夜をあかし日をくらす」(種々御振舞御書)と仰せられているように、この堂は、荒れ果てて北山おろしの冷たい風が容赦なく吹きつける廃屋そのものであった。

初めての冬を越された大聖人は翌文永9年の1月16日、この塚原で諸宗の僧と歴史的な塚原問答を行い、完膚なきまでに破折をし、はては大聖人に帰伏する者も出る有様であった。又、人本尊開顕の書「開目抄」はじめ重要な御書がこの地でしたためられた。

石田郷一谷

塚原三昧堂

わずか数ヶ月滞在ののち、文永9年の4月、大聖人は思い出深い配所塚原から、数キロ離れた石田郷一谷へ移転された。
御書に
「文永九年の夏の比(ころ)、佐渡の国・石田の郷一谷(いちのさわ)と云いし処有りしに」(一谷入道御書)にあるとおりである。
この移転は、幕府が大聖人の身柄を一谷のある石田郷の名主の土屋一族に預け、また、土屋一族が一谷の在家主近藤氏に預ける為であった。

その移転の理由は、
一つは当時の流罪人の制度にある自給自足の為に移された。又、自界叛逆難の予言が的中したことによる待遇改善をはかる為。もう一つは、他宗徒からの迫害から大聖人の身を保護する為、等の説があり冷遇説、優遇説いずれも判断しがたいが、ただ地形的環境では、塚原よりもはるかに不便な僻地で淋しいところである。

在家の主一谷入道は初めは強盛な念仏者であったが、阿仏房夫妻同様大聖人の御振る舞いに接するうちに次第に畏敬の念を抱いていったに違いない。
御書に 「宅主(あるじ)・内々・心あって外には・をそるる様なれども、内には不便げにありし事・何(いつ)の世にかわすれん」(同)と仰せである。

この頃大聖人のもとに海を渡って訪れる信者が多くなった。4月には四条金吾が(小説 四条金吾 第6巻 佐渡抄)5月には乙御前と呼ばれた娘を連れた1人の女性信徒が訪れている。しかし佐渡では大聖人に近づく人間に対して徹底した迫害が加えられた。こうした厳しい状況下にあって、ひたすら著述に専念され「観心本尊抄」をはじめ「祈祷抄」「諸法実相抄」「如説修行抄」「顕仏未来記」など数多く御述作をなされたのである。

真浦の津

赦免状 幕府より届く
文永11年2月14日、幕府より発せられた赦免状が3月8日、佐渡の大聖人のもとに届いた。執権北条時宗は、大聖人の罪がざん言によるものであることを看破し、周囲の反対を押し切って赦免に踏み切った。
その事情を大聖人は「科(とが)なき事すでに・あらわれて・いゐし事もむなしからざりけるかの・ゆえに、御一門・諸大名はゆる(許)すべからざるよし申されけれども・相模守殿の御計らひばかりにて・つい(終)にゆり(許)て候いて・のぼ(登)りぬ」(中興入道消息)と記されている。3月13日いよいよ大聖人一行は、佐渡を離れることになった。門下の人々にとっては大聖人の御赦免は大きな喜びであったものの、大聖人との別離は辛いことでもあった。

大聖人も当時の御心境を「さればつら(痛)かりし国なれどもそ(剃)りたるかみ(髪)をうしろ(後)へひかれ・すす(進)むあし(足)もかへりぞかし」(国府尼御前御書)と記しており後ろ髪を引かれる思いで佐渡の門下と別れをつげた。
今、佐渡における最後の地となった真浦の津にこの御手紙文が碑文として刻まれている。

  • 源流大学校

源流大学校

人材育成・新潟源流大学校

新潟県創価学会では、人材育成の場として新潟源流大学校があります。新入会の方や、新たに信心に目覚めた友が入校し、代々の会長の精神・創価学会の歴史・広宣流布とは何かを学びます。
教材は小説『新・人間革命』を使用し、月1回、研鑽成果を発表していきます。新潟源流大学校のスローガンを、1.創価学会を胸に 2.小説『新・人間革命』の読書運動を 3.広宣流布の偉大な地域のリーダーに として、新潟源流大学校は続々と人材を輩出し、堅固な人材城の建設に取り組んでおります。

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