ホーム > 「牧口常三郎」特集 > 【平和編】3.世界平和への理念・実証

「牧口常三郎」特集

【平和編】3.世界平和への理念・実証
  • 創価教育学会創立の意義

創価学会(そうかがっかい)青年部が全国で核廃絶署名運動を展開。1300万人の署名を国連に提出した

「悪人は結託する」彼はこう喝破した。悪人はなにかしら弱みをもっており、孤立していては安心できない。ゆえに、他人と共同し、特に強者の保護のもとで、その身を守ろうとすると。また共通の敵にあたるために、たやすく結束すると。
しかし、
「悪人たちの結託に対して、善良な人は、なかなか力をあわせることができない」
「善人は自分に弱みがないので、孤立して、対抗力を形成することをしないから圧迫されがちである」
つまり、善人は悪人と違い、自分に弱みがないので、わざわざ団結しようとしないというのである。その結果どうなるか。
「強くなってますます善良を迫害する悪人に対し、善人はいつまでも孤立して弱くなっている。一方が膨大すれば、他方はますます萎縮する。社会は険悪とならざるを得ないではないか」
こうした悪の結託を打ち破るためには、明確な形として、「戦う善の力」を連帯させなければならない。ゆえに牧口は、民衆の善なる力の結集を目指して、「創価教育学会」を創立したのである。

  • 国家の持つ使命

「地球」「人類」という次元から「国家」を見下ろし、ちっぽけな日本という「国家」に隷従する臣民ではなく、開かれた心で「全人類」に貢献する世界市民を育てたい、育てなければならない― ここに牧口常三郎の戦いの眼目があった。
牧口は、人生地理学の中で「国家」なかんずく「文明国」の果たすべき根幹の使命を、こう指摘している。
「国民個人の自由を確保すること・個人の権利を保護すること・国民の生活に対してその幸福の増進を図ること」と。
要するに「国家」は、国民の「自由」と「権利」と「幸福」のためにあるというのである。そのうえで人類は、もはや軍事的競争でも政治的競争でも経済的競争でもなく、人道的競争の時代を志向すべきである、と提唱していた。
  • 民衆運動としての平和活動

牧口は「美・利・善」の追求が人間の幸福であると結論づけた。「利」とは、広い意味での利益の追求である。「善」とは、不正に対する正義の追求である。そして「美」は芸術・文化の追求である。この三つがそろわなければ偏った社会になってしまい、人間は幸福になれないと。
その上で、文化・芸術、つまり「美」の価値を広げゆくことは、平和と一体である。文化国家は平和国家になれる。争いが多くなったとき、文化はすさみ、地獄の国家の方向に進んでしまう。「文化」対「野蛮」。この葛藤が人類史とも言える。冷戦が遠ざかり、「どのような21世紀になっていくのか」これが世界の大きな課題である。争いを食い止め、民衆の心を平和の方向へと昇華させゆく偉大な潮流は、文化しかない。
二度の世界大戦をはじめとして、人類史で一番「文明が進んだ世紀」と言われながら、歴史上、一番「野蛮な大量虐殺」をしてきたのが20世紀。アウシュビッツ、ヒロシマ・ナガサキ、南京、スターリニズムなどは、その悲劇の象徴である。それは、「文明社会」の格好はしていても、人間を愛する「文化の心」がなければ、平和はないという教訓ではなかろうか。
牧口はいち早く、世界史の大きな潮流のなかで、「民衆運動」を展望していた。
  • 平和の文化、人道的競争の時代<平和主義の共鳴>

タゴール
日本は国家主義を捨てなさい! 国家に人間が押しつぶされ、必ず滅びることになります。
人間主義をとりなさい! その道こそ、日本の輝ける使命の道です。

周恩来
我々はもちろん個人主義に反対ではありません。 新しい思想や価値を表現することは奨励したい。
だが、利己主義、欲得ずく、「まず私が」という方向へ進んではなりません。
人が他人のため己を忘れて働き、国民に奉仕することを自らの理想に掲げるとき、
それが最良の個人主義だと思います。

柳田国男
若い者を用いて熱心に戦争反対論や平和論を唱へるものだから、
陸軍に睨まれて意味なしに牢屋に入れられた。
妥協を求められたが抵抗しつづけた為め、牢の中か、又は、出されて直ぐかに死んでしまつた。
宗祖の歴史につきものの殉教をしたわけである。(「故郷七十年拾遺」から)