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「牧口常三郎」特集

【平和編】1.平和への足跡
  • 『人生地理学』-開かれた「世界市民の心」-

「私の子どもは、お母さんのおっぱいがでなかったので、かわりにバターで育てました。でも、日本製のバターは品質が悪いので、医者に相談して、スイス産のものを手にいれました。だから、スイスの牧場で働く子どもたちに感謝しなければなりません。また、この子が着ている服を見ると、インドの人が暑い中、汗を流して育てた綿花からできたものなのです。このように、生まれたばかりの何もわからない赤ちゃんでさえ、その命は、世界中の人々に支えられているのです。」

1903(明治36)年10月15日、牧口が32歳の時、まさに天空から地球環境のすみずみを見つめるような筆致で、最初の著作である『人生地理学』は執筆された。時代は日露戦争の前年、日本は新たな戦争に向かってさらに軍国主義の度を強めていった頃である。そんな中で牧口は、自分の身の回りのもの一つ一つから、「自分と世界」とのつながりを発見していき、人間として、最も人間らしい感謝の心をつづるところから、「世界市民の平和の哲学」を説き起こしていった。開かれた「世界市民の心」で、平和と人道の連帯を広げゆくことを訴えたのである。
  • 平和への行進

牧口は、「民衆の幸福のため」に自ら前進し続けた。迫害のなか、240回を超える座談会を開催。高齢にもかかわらず、240回である(昭和16年5月から18年6月まで、18年当時72歳)。
また、地方にも単身出かけ、自ら約 500人の人々を信仰に導いたといわれている(昭和5年から18年7月まで)。
牧口は、宗教の持つ意義として、「人を救い、世を救うこと以外に、宗教の社会的存立の意義があろうか」と論じていた。 「人間のため」「民衆のため」「社会のため」の宗教でなければ、何の意味もないと。