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「牧口常三郎」特集

【教育編】4.エピソード
  • 限りないやさしさ

北海道での青年教育者時代、雪が降る日など、生徒が登校してくるのを迎えに行き、下校時には送っていった。体の弱い子が皆に遅れないよう気をつけながら、小さな生徒は背中におぶって、大きな生徒は手を引いて。また、お湯をわかして、子どものあかぎれだらけの手をとり、お湯の中に静かに入れて洗ってあげた。
東京三笠小学校の校長時代は、極貧の地域で、窓ガラスも破れ、厚紙でふさいでいるような学校であった。弁当を持ってこられない子のために、ポケットマネーを割いて、豆もちや食事を用意した。しかも、気がねなく持っていけるように用務員室に置いた。子ども達の苦しさを全部知っている、温かく、優しい『人間・牧口』であった。
  • 権力に対する抵抗

大正8年、牧口を中心とした理想的な学校運営に対し、突然、校長をやめさせようと、権力による牧口への排斥弾圧がかけられるようになった。
その発端は、地元の有力者が、「わが子を特別扱いするよう」牧口に強要してきたことを、牧口が断った逆恨みであった。しかし、青年教員を中心に、「敬愛する牧口先生を何としても守ろう!」「牧口先生を辞めさせるのであれば、自分たちも全員辞める」と、一丸となって猛然と抗議運動が展開された。
また、この折、牧口を慕う父母たちも反対運動を行い、「牧口校長を辞めさせるな!」と、3日間にわたって、子どもたちを同盟休校させている。牧口がどれほど青年たちから尊敬され、庶民から支持されていたかを如実に示す歴史である。
  • 実践の人

指導者の鍛錬は、一にも二にも「実践」のなかにしかない。「行動」のなかにしかない。「水泳を覚えるには、水に飛び込む以外にない。畳の上では、いくら練習しても覚えられない。まず動くことである。実際に、やってみることである」と。牧口は一回の遠足にも真剣勝負で臨んでいた。野外の観察を通して、児童たちが何を学び取るか。どんな、よき思い出を残してあげられるか。児童の一番後ろについて、疲れている子供はいないかと、皆の様子を見守りながら歩くのが常であった。児童を大事にする、『人間主義の実践者』であった。
  • 正視眼の生き方

アメリカSGI=創価学会(そうかがっかい)インタナショナル=とデューイ研究センターによるシンポジウム

牧口は、アメリカの哲学者ジョン・デューイにも、いち早く注目していた。昭和17年11月の「法華経の信者と行者と学者」と題した講演で、牧口は、デューイの言葉を通してこう述べている。『生活法(宗教)は、自分自身が生活(実行)してみなければ、わかるものではない。日本には、たいてい、二種類の人間しかいない。どんな素晴らしい話を聞いても、「自分とは関係のない話」と思い、「対岸の火事」を見ているような「遠視眼の人」。もうひとつは、目先のことばかりに没頭している「近視眼の人」。それではいけない、「正視眼の人」になれ!』と。「正視眼の人」とは何か。それは「世界的大哲学をもち、それを自分の生活の場で実践する人生」であり、信じているだけの信者ではなく、学んでいるだけの学者でもなく、生活の上に行じる「行者」とならなければならないと牧口は叫んだ。牧口も、ジョン・デューイも、日本人が「根無し草」であることを見抜いていた。