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「牧口常三郎」特集

【生涯編】4.学校校長時代
  • 校長左遷

大正2年以降、牧口は、上京してからも名校長として多くの父母、児童たちから慕われた。一方で、独自の教育論を展開し、権力にへつらわないことから、いつもにらまれて迫害を受け、東京の尋常小学校の校長職を 2度までも左遷(させん)されている。
  • 戸田城聖との出会い

1930(昭和5)年。創価教育学会設立当初の牧口と戸田城聖

大正8年、牧口は、大正尋常小学校から西町尋常小学校へ転任。その西町小学校校長時代に、北海道から訪ねて来た、若き日の戸田城聖(とだじょうせい)と出会う。牧口は、戸田の資質を見抜き職員として採用する。

この時の運命的な二人の出会いが、後の「創価教育学会」の結成に至り、今日の「創価学会(そうかがっかい)」の源流となる。それは、師弟の精神が壮大に世界へと広がっていく始まりでもあった。

  • 東京白金尋常小学校時代

大正11年から牧口は、校長生活時代の後半10年を白金尋常小学校で過ごす。牧口は、これまであたためてきた自分なりの教育理論を思いのまま実践に移していく。そうした中、牧口は教育改革の方法への思案をひとつ、またひとつとメモにためていった。牧口の努力により、名門の白金小は、模範の学校としてさらに評価を高めていった。