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「牧口常三郎」特集

【生涯編】3.地理学者として
  • 地理学への情熱

教育者としての職務に励む一方で、牧口は、地理学への情熱も失わなかった。独自の視点で、研究を積み重ねていった。それは、人間社会と地理との関係を解き明かし、世界をまるごと把握したいという欲求であった。折りにふれ思考し、書きつづっていた原稿は、ゆうに二千枚を超えていた。
地理研究に刺激を受けたのは内村鑑三の「地人論」と志賀重昂の「日本風景論」だった。いつしか牧口も自分の研究の成果を世に問いたいと願うようになっていた。
  • 「人生地理学」を発刊

1902年、31歳の牧口は、地理学の研究成果をまとめるため膨大な原稿を持って上京する。生活の困窮と戦いながら青春の情熱を傾注して、大著「人生地理学」の完成に取り組む。明治36年、牧口32歳で発刊が実現。
このとき、牧口は当時の高名な地理学者であった志賀重昂氏に原稿の批評を依頼した。志賀氏は、無名の青年が衣食の窮乏に耐えながら、こつこつと研究を積み重ねてきたことに感動して引き受けたと、その心情を「人生地理学」の序文に書き記している。
  • 郷土会発足

「人生地理学」

明治43年8月、牧口は文部省図書課の嘱託となる。「人生地理学」を通して知遇を得た新渡戸稲造、柳田國男の両氏をはじめ郷土研究に関心を寄せる人々により、同年12月、郷土会が発足。牧口も月1回、主に新渡戸稲造の自宅で開催される同会に出席した。